「サラリーマン一本は危険」40代年収1100万円大手不動産会社勤務のRYOさんが語る本業×複業のパラレルキャリア戦略とは【TEKO独占インタビュー】
RYOさん
海外輸出コース3期生
年収1100万円の大手不動産勤務、それでも拭えなかった「モヤモヤ」
RYOさんは42歳。大手不動産会社で施工管理職として20年以上勤務し、年収1100万円を得ている。理系出身で、建物を作ることへの情熱から新卒で入社し、転職の誘惑があっても「作る」仕事への愛着で同じ業界に留まり続けてきた。10年前にはRC1棟18戸・1.5億円規模の不動産投資も実行している。傍目には十分すぎる経歴だが、本人の内側にはずっと消えない感覚があった。
「不動産だけ買って満足しちゃっている自分がどうしても嫌で」とRYOさんは語る。副収入があるからと自分に甘え、事業を自ら立ち上げるところまで踏み出せていなかった。人生という長いスパンで見た時に、20年という一本の幹を登り続けるだけでいいのか。本業にモヤモヤはないが、キャリア全体を見渡した時の漠然とした不安は、年収の高さでは埋まらなかった。
転勤族の父親が見据えた、家族との時間と選択肢
3〜4年ごとの転勤がある業界で、RYOさんには小学生の子供が2人いる。子供が小さいうちは家族で帯同できたが、小学生になると転勤のたびに連れていくのが難しくなる。このまま本業一本で続ければ、いずれ単身赴任を余儀なくされる可能性があった。その現実が、新しい収入の柱を立てようという具体的な動機になった。
将来的には会社を辞める選択肢を持ちたい。あるいは転勤の少ない会社への転職という攻めの姿勢を取れるようになりたい。RYOさんが海外輸出事業を始めた背景には、家族との生活を守りながらキャリアの主導権を取り戻すという、静かだが切実な意思決定があった。自分で稼働して事業を立ち上げること自体が初めての経験だった。
合同コンサル皆勤と「素直に愚直に」の1年間
入会時にRYOさんが決めたことは一つ。月に開催される合同コンサルに毎回必ず出ること。1年間でほぼ欠席なし、休んだのは1〜2回のみ。そしてそこで受けた指導を、自分の考えを挟まずに素直に実践した。「指導されているところを、他の自分の考えなしに素直にして、それを愚直にやっていった結果が今のところ」。この一言が、RYOさんの成長の核心を表している。
成果は着実に積み上がった。開始から3ヶ月は純利益10万円前後。半年で30万円前後。後半には40〜50万円に達し、1年を経過した時点で目標としていた月粗利100万円を達成した。特に価値を感じたのは、トラブル発生時のロードマップ。問題に直面してから自己判断で対処するのではなく、事前に対処法を学べていたことで、致命的なミスを避けられたという。
事業を「作り上げる」体験が変えた自己認識
不動産投資の経験はあったが、自分で稼働して事業をゼロから構築するのは初めてだった。「事業ってこういう風に作り上げていくんだな」という体感を得られたことが、RYOさんにとって数字以上の収穫だった。10年間、不動産を買っただけで満足していた自分への甘え。何もやっていなかったことへのモヤモヤ。その霧が、事業化に取り組む過程で少しずつ晴れてきている。
本業では「他に文句を言わせない」ようにきっちり仕事をこなす性格。管理職にはあえてならず、残業代の確保と自由度のバランスを取る戦略性も持ち合わせている。基準値が高く、中途半端を嫌い、やるなら突き抜けたいという向上心。その性格が、合同コンサルの皆勤と愚直な実践を支え、1年で月粗利100万円という結果につながった。
「悩んでいればまず行動してみようよ」——20年の幹を登り続けた先の答え
RYOさんは振り返る。もしこの1年、何も始めていなかったら「本当にダラダラテレビ見て、YouTube見てっていう生活で終わっちゃっていた」と。次のステップへの足がかりはつけられないまま、モヤモヤだけが残っていただろう。今後は法人化を進めながら、海外輸出事業を軌道に乗せ、不動産事業も並行して走らせる計画を描いている。
「やってみたいっていうところがあれば、迷わず一歩進んでみると、また開けた世界ができてくる」。本業に不満はない。ただ、人生という長いスパンで見た時に、一本の幹だけを登り続けることへの疑問は、行動でしか解消できなかった。年収1100万円の安定を持ちながら、それでも新しい柱を立てに行ったRYOさんの1年は、パラレルキャリアの一つの実証例として、静かな説得力を持っている。
確かな実践知が集う場所
医師・GAFAM・5大総合商社・外資系戦略コンサル...
日本トップTierのビジネスパーソンも実践している
令和時代の新たなキャリアデザイン
人生が飛躍する「テコの効かせ方」
お受け取りはこちらから