「仕事はお金よりもやりがい」30代前半年収700万円日本語学校マネージャーのむうさんが語るキャリア観とは【TEKO独占インタビュー】

むうさん

30代前半日本語学校マネージャー年収700万

海外輸出コース3期生

大手IT企業を離れ、日本語学校の経営幹部へ

むうさんは大手IT企業でハードウェア営業として実績を重ねていた。研修制度もビジネスマナー教育も充実した環境だったが、自分が売る商品に確信を持てず、誰から買っても同じものを提案する日々にやりがいを見出せなかった。「楽しくなかった」という率直な言葉の裏には、裁量権のなさへの違和感もあった。

転職先に選んだのは、外国人駐在員に日本語を教える語学学校だった。受付スタッフとして入社後、前職で培ったIT企業の業務効率化の視点を活かし、アナログな業務をデータ化する改善提案を重ねた。その姿勢が経営陣に認められ、3年目にはマネージャーとして新規店舗の立ち上げを任され、横浜での開校から売上拡大まで一人で推進。育休直前には管理職兼幹部として経営会議にも参加し、約20名のスタッフを束ねる立場になっていた。

副業5年、3本目の柱を探して

本業で年収700万円を得ながらも、むうさんは組織の板挟みに限界を感じていた。会社の方針と部下への思いが一致しない場面が増え、「自分が求めている生活ではなくなっていった」と振り返る。辞める辞めないは別として、もう一つ自分で稼げる軸を持っておきたい。その思いから5年前に副業を始め、レンタルスペース運営と輸入物販の2本を並行してきた。

しかし輸入物販は消費税の負担が重く、撤退を決断。「逆なら消費税が還付される」と気づいたことが転機になった。留学経験で英語にも抵抗がなかったむうさんは、海外輸出という3本目の柱を探す中で、Xでプロパー八重洲の発信に出会った。実績の裏付けと、他責思考の少ないコミュニティの空気感に惹かれ、比較検討をせず入会を即決した。

月利6万円から40万円超へ——転機になった1回の面談

2024年11月に設定を始め、12月に出品を開始。初月の利益は6万円だった。年明けには第二子の出産を挟み、1〜3月は月1〜2万円で推移。4月に再開してからも5万、7万と伸び悩みが続いた。「これじゃヤバい」と感じたむうさんは、TEKOの講師によるマンツーマン面談を受ける。

そこで指摘されたのは、リサーチの方向性のわずかなズレだった。「ほんのちょっとのズレだったんですけど、そこがハマった」と語る通り、面談後の7月には利益が15万円と倍増。8月・9月には40万円を超える利益を記録した。現在は第二子の産後ケアと並行しながら外注スタッフの育成にも着手し、1日5〜6時間の作業時間で事業を回している。

「やる環境ならやれる」——過去の失敗が確信に変わるまで

副業歴5年の中には、たくさんの失敗もあった。輸入物販を独学で始めた最初の頃は、無料の情報だけではアカウント開設すら複雑で、仕入れ先の選定も正解が分からず手が止まった。「動いても結果が出なかったらすぐ止めてしまう」という繰り返しの中で、先を行く人に対価を払い、努力の方向性を示してもらうことの価値を痛感した。

この経験があったからこそ、TEKOへの入会にも迷いがなかった。輸入で培った物販の基礎があり、ビジネスモデルとしても「逆のことをするだけ」というイメージが持てた。加えて、コミュニティの存在が大きい。一人で副業をしていた頃にはなかった「目指す先」が、周囲のメンバーの実績として目に見える形であった。孤独ではなく、つまずいた時に聞ける安心感が、行動を止めない力になっている。

100万円、その先にある「色鮮やかな人生」

むうさんにとって仕事はライフスタイルの一要素であり、それ以上でも以下でもない。月利100万円を一つの目標に据えつつも、「それ以上を目指して生活がカツカツになるくらいなら」と、バランスを崩さない線引きを明確に持っている。大手IT企業を辞めた理由も、語学学校で経営幹部まで上り詰めた原動力も、根底にあるのは同じ価値観だ。

組織の中では選べなかった人間関係も、自分の事業では面接の段階で価値観の合う人を選べる。外注マネジメントは本業のマネジメントとは違うストレスの質で、精神的にも楽だという。海外移住先で育児と事業を両立しながら、「子供を理由にしない、マイナスばかり見ない」と語るむうさんの言葉には、5年間の試行錯誤を経た実感がこもっている。

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