「先輩を見て約束された年収1,000万を捨てました」27歳元スーパーゼネコンのりょうさんが選択した『転職×複業』の選択肢とは?【TEKO独占インタビュー】

りょうさん

27歳土木設計・インフラ設計年収600万

海外輸出コース2期生 / 不動産コース

スーパーゼネコンで見えた「数年後の自分」

大学で土木を専攻し、教授の推薦を経てスーパーゼネコンに入社したりょうさん。周囲からは「すごいね」と言われる環境だった。しかし現場で目にしたのは、平日は残業に追われ、土日だけ家族のもとへ帰る先輩たちの姿だった。和歌山の現場に赴任していた先輩は、日曜の夜に単身で戻ってくる生活を繰り返していた。

会社の先輩は、自分の数年後の姿でもある。お金はもらえている。けれどその暮らしを自分の将来として受け入れることには、どこか納得がいかなかった。このまま仕事のことだけをしている将来が見えていた。「どうするか」ではなく「どうしようかな」という、静かな違和感が転機の始まりだった。

年収1,000万の道を降りた理由

30歳で年収1,000万円は堅いと言われるルートだった。大きな会社の看板、安定した待遇、親戚からの評価。それでもりょうさんは3年で転職を決めた。インフラの設計という新たな職種を選んだのは、自分の将来を自分で決めたいという意志が先にあったからだ。

転職先では時間に余裕が生まれた。その余白のなかでプロパー八重洲の発信に出会い、「副業」という選択肢を知る。危機感に駆られたわけではない。ただ、仕事以外の時間で何かを積み上げられるかもしれないという感覚が、自然と背中を押した。注いだ分だけ何かしら成果が返ってくる世界があることを、この時初めて知った。

海外輸出で知った「自分でやる」意味

入会した当初、りょうさんは自宅がオートロックのマンションだったため、最初から発送を外注する方針でスタートした。しかし、外注さえすればうまくいくという甘さがあった。自分でリサーチをせず、自己流で動き続けた結果、利益は月2〜3万円を行き来する日々が続いた。

転機は年末から年明けにかけて。自ら商品リサーチに向き合い始めると、初めて「売れ続ける」という手応えを得た。そこから外注先にもリサーチの方針を正しく伝えられるようになり、月の利益は徐々に伸びていった。仕組みを他人に任せる前に、まず自分が正解を掴む。海外輸出を通じてりょうさんが最初に学んだのは、外注戦略の前提となる自分自身の目利き力だった。

不動産への挑戦と「期限を切る」行動力

海外輸出に取り組んで半年。不動産コースの説明会に参加したりょうさんは、自己資金以上のレバレッジをかけて事業ができる仕組みに惹かれた。本業の繁忙期が1月から始まることを見越して、「12月までに必ず購入する」と自分に期限を切った。入ったのに数ヶ月動けず時間を無駄にするわけにはいかなかった。

活動を始めて約2週間、値下げ中の物件を見つけた。収支を計算し、学んだ手順に沿って忠実に進めた。本業が土木の設計であることも追い風になった。建物や業界の話に抵抗がなく、仲介会社への訪問もためらわなかった。初心者でも聞くだけで勉強になると割り切れる姿勢が、このスピード感を支えていた。

複業がつくる、自分で決める暮らし

朝7時に起きて体を動かし、8時に出社する。帰宅後は海外輸出のリサーチや外注先への指示、不動産サイトでの物件情報の収集に時間を充てる。以前は特に何もせず過ごしていた夜の時間が、いまは副業の時間に変わった。「会社から早く帰りたい」と思えるようになったこと自体が、りょうさんにとっての大きな変化だった。

大学のボート部で4年間もがいた経験は、思うような結果にはならなかった。どれだけ頑張っても成果が出ない時期が続いた。しかし仕事や副業では、注いだ分だけ何かしらの形で返ってくる。その手応えが、朝のトレーニングから夜のリサーチまで続く毎日を、充実したものに変えている。自分の将来は自分で決める。その言葉に実感が伴い始めている。

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